2010年 12月 15日
韓国伝統美への旅(31)「昌徳宮の月灯り紀行」(6)仁政殿
(前回から続く)
「仁政殿」(インジョンジョン)
そもそも、「昌徳宮」という空間は1405年、
正宮である景福宮の離宮として建造された宮殿である。
ところが、文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱という)ですべての宮殿が焼失した為、
1615年に第15代王光海君(クァンヘグン)が「昌徳宮」を再建し、
正宮である「景福宮」が再建されるまでの約270年もの間、
正宮として政務を執り行う役割を果たすこととなった。
従って、朝鮮の宮殿の中で王が最も永く住んだ王宮、ということになる。
そして、この建物が「昌徳宮」の正殿で、
当然の事ながら最も大きく、且つ威厳の在る建物、ということになる。
この空間で王の即位式や、臣下の朝礼式、外国使節の接見など、
国の重要行事が執り行われた。
今、そんな空間の中に我が身を置いている時、
光がほのかに投影する石碑と石畳の一つ々に歴史の重みを感じる。
武官や文官が左右に別れ、それぞれ並ぶ位置が厳格に定められる石碑が並ぶ。
「正九品」を最下座に、建物に向かって上座が並んでいく。
この格順を狙って日々、幾度とない立身出世と政権闘争が、
そして権力の二重構造が繰り返されてきた事だろう。
島国である日本人の感覚からすると、
「王」と「家臣」との熾烈な対立構造に違和感さえも感じてしまう。
主観からすると、「王」という求心力よりむしろ、
そこには「家系」という、「村社会」的なものを感じてしまう。
いずれにしろ、そんな歴史が最も永く繰り返された空間である。
『想い渦巻く仁政殿』
撮影データ:2010.11.21 20:16、月齢14.9、三脚使用、スローシンクロ
Nikon D7000, Nikkor18-200mmVR, f8.0, SS:1.5s, Strobe, ISO400, WB:DayLight
基本情報:昌徳宮
「仁政殿」(インジョンジョン)
そもそも、「昌徳宮」という空間は1405年、
正宮である景福宮の離宮として建造された宮殿である。
ところが、文禄・慶長の役(韓国では壬辰倭乱という)ですべての宮殿が焼失した為、
1615年に第15代王光海君(クァンヘグン)が「昌徳宮」を再建し、
正宮である「景福宮」が再建されるまでの約270年もの間、
正宮として政務を執り行う役割を果たすこととなった。
従って、朝鮮の宮殿の中で王が最も永く住んだ王宮、ということになる。
そして、この建物が「昌徳宮」の正殿で、
当然の事ながら最も大きく、且つ威厳の在る建物、ということになる。
この空間で王の即位式や、臣下の朝礼式、外国使節の接見など、
国の重要行事が執り行われた。
今、そんな空間の中に我が身を置いている時、
光がほのかに投影する石碑と石畳の一つ々に歴史の重みを感じる。
武官や文官が左右に別れ、それぞれ並ぶ位置が厳格に定められる石碑が並ぶ。
「正九品」を最下座に、建物に向かって上座が並んでいく。
この格順を狙って日々、幾度とない立身出世と政権闘争が、
そして権力の二重構造が繰り返されてきた事だろう。
島国である日本人の感覚からすると、
「王」と「家臣」との熾烈な対立構造に違和感さえも感じてしまう。
主観からすると、「王」という求心力よりむしろ、
そこには「家系」という、「村社会」的なものを感じてしまう。
いずれにしろ、そんな歴史が最も永く繰り返された空間である。
『想い渦巻く仁政殿』
撮影データ:2010.11.21 20:16、月齢14.9、三脚使用、スローシンクロ
Nikon D7000, Nikkor18-200mmVR, f8.0, SS:1.5s, Strobe, ISO400, WB:DayLight
基本情報:昌徳宮
by photoartplan
| 2010-12-15 23:00
| 韓国伝統美への旅
|
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